イギリスの文学批評家、文化理論家テリー・イーグルトンによる Reason, Faith, and Revolution(2009年)から。
Eagleton, Terry
Yale University Press
2010-03-16
以下は、クリスチャンにとってキリストの復活とはどのようなものなのかを述べる文章の一部です。resurrection は「キリストの復活」、lurk は「ひそむ」、arm O with ~ で「Oに~という装備を与える」。
The resurrection for Christians is not a metaphor. It is real enough, but not in the sense that you could have taken a photograph of it had you been lurking around Jesus's tomb armed with a Kodak.
Terry Eagleton, Reason, Faith, and Revolution, p. 119
<解説>
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The resurrection for Christians is not a metaphor. It is real enough,
「クリスチャンにとってキリストの復活とは比喩的なものではない。それは真実といってよいものである」
but not in the sense that you could have taken a photograph of it had you been lurking around Jesus's tomb armed with a Kodak.
in the sense that S V で「SVという意味で」。
had you been ~ →「if S had + 過去分詞」(仮にSが~していたなら)と同等の意味を「had S + 過去分詞」で表すことができます。「had S + 過去分詞」の方がフォーマルな言い方。
armed with ~ は、arm O with ~(Oに~という装備を与える)の過去分詞を使った分詞構文です。
本来固有名詞であるはずの Kodak に不定冠詞の a がついているのは、ここでは Kodak が「コダック製のカメラ」という意味で一般名詞として使われているためです。
「しかし真実といっても、コダックのカメラを持ってキリストの墓の近くに潜んでいたらキリストの復活の写真を撮ることができたはずだという意味でのことではない」